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旧摩耶大杉への直登尾根



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平成20年9月20日(土)  メンバー 私だけ

青谷橋バス停〜青谷道〜行者茶屋跡〜旧摩耶大杉直登尾根〜史跡公園〜掬星台星の駅

山行イメージ(2万5千分の1地形図:神戸首部)


旧摩耶大杉直登尾根

今年の5月に播州野歩記掲示板にて、芦屋MK氏よりサジェスチョンを頂いた旧摩耶大杉直登尾根を登ってみた。青谷道から行者茶屋跡の上で西へと離れて旧摩耶大杉(摩耶史跡公園への最後の最後の石段の西方にある枯れた杉の巨木)へと登り詰める尾根で、かすかな踏み跡が付いていた。

MK氏いわく老婆谷東尾根だそうだが、どちらかというと老婆谷東々尾根ではないかという見方もできて紛らわしいので、播州野歩記では旧摩耶大杉に真っ直ぐに登る尾根という意味合いで「旧摩耶大杉直登尾根」と仮に呼ぶことにする。


行者茶屋跡へ

10:10
いつもの青谷橋バス停から歩き始める。

いつものように阪急三宮駅東口から乗車した、2系統阪急六甲行きの神戸市バスに乗ってきたのだが、いつの間にかICカード対応(PiTaPaとICOCA)になっていた。2系統の料金は200円均一なので降車時にカードリーダーにタッチするだけでよいのだが、距離料金路線では乗車時もタッチが必要となんだか紛らわしい。

青谷橋バス停から出発

行者茶屋跡まで特に目新しい事物事象はなかったので、パスしたかったらここをクリック

10:18
青谷バス停から西郷川(市街地に入ると青谷川から名前が変わるのかな)の右岸側を行き、摩耶橋を渡り、お不動さん前の摩耶山青谷道登山口に着いた。

でも、ここから行者茶屋跡までは電柱が立ち並び一部は簡易舗装になるが、とても登山道とは呼べない普通の道が延々と続き、行者茶屋跡が実質的な摩耶山への登山口となる。

そんなこんなで「六甲山は登山口まで遠い」というが、ここも例外でははなく「登山口目指してがんばるぞー」。

西郷川の摩耶橋から始まる青谷道

10:32
神戸唯一の観光茶園「静香園」まで着いた。茶室「静香亭」でお茶まんじゅう・煎茶のセットが500円で提供されているというが、写真に見える冬はちょっと寒そうな東屋風のところが茶室なのかもしれない。

静香園(しずかえん)

観光茶園

ここは、市内で唯一の茶畑です。明治の頃、灘区長田通から中央区割塚通一帯が茶畑で、神戸港から外国に輸出されていました。昭和51年に、ここ青谷に茶畑が開かれ、およそ100年ぶりに神戸に茶畑が復活しました。毎年5月初旬の八十八夜には、小学生が茶摘体験をします。

灘百選

香り良し
かりがね煎茶
かりがね冷茶
グリーンティ
オール ¥250

蔵出 お茶まんじゅう
当店オリジナル かりがね お煎茶付き
期間限定 一人前 500円

10:36
静香園に続いて、あけぼの茶屋を中心とした卓球場や毎日登山記帳所などからなる山村集落だ。ここは何度も通っているが、あけぼの茶屋が営業しているのは1回だけしか見たことがない。もしかすると完全予約制か、はたまた町に住む店主より鍵を借りるところから始まり、自分で食材を持ち込み調理するという完璧なフルセルフサービスの茶店なのかも。

今日も閉まっているあけぼの茶屋

10:40
少しづつだが、この青谷道は公により整備されているみたいで、ここの黄色柱と黄色ガードロープは新しいものとなっている。もしかするとこの道は市道なのではと思う。

真新しい黄色いガードロープ

10:47
青谷沿いには数多くの滝行場があり、この大龍院もその一つだ。今の時期はまだ修行には不適でひっそりとしているが、厳冬期ともなると大勢の行者により大賑わいとなるに違いない。

いつ来ても真っ赤な幟が鮮やかな大龍院

10:55
青谷道登山口から37分、摩耶山行者堂・畑・民家などが固まる行者茶屋跡に到着。少々時間が遅かったためか、出会うハイカーや毎日登山の方は少なかった。


旧摩耶大杉直登尾根

11:01
行者茶屋跡ベンチでの暫しの休息の後、いよいよ旧摩耶大杉直登尾根へと出発。今日は行者堂の前の道、青谷道を率直に進むが、摩耶行者堂の裏にも道があり、行者尾根・老婆谷西尾根・老婆谷の3本のルートで天狗道へと登ることが出来る。

行者茶屋跡から青谷道をさらに奥へ

青谷最後の滝行場になる大日大聖不動明王前を抜けて橋を渡ると、いつも薄暗く濡れた谷沿いの、私が青谷道の中で一番嫌いな部分を通り抜け、山火事注意神戸営林署の横断幕の下をくぐりしばらく登っていく。

11:10
道の右側がふくらんでいる所が旧摩耶直登尾根への取付だ。ここには、たくさんの目印があり容易に判断できる。

最後の緑ビニール紐は直登尾根の所々にも結んでいて、結んだ本人は親切心の積もりなのだろうが、あとから歩くハイカーのルートハンティングの楽しみを奪うこと以外に存在価値はない。結んだ人は即刻外さないと山の神の罰が必ず当たることだろう。

ここが旧摩耶大杉直登尾根の取付だ

11:16
直登尾根にはつい最近に人が歩いた形跡はあるが、明確な踏み跡までには至っていない。でも踏み跡はないが、なぜかかつての道跡が明確に残っている部分もあり、不思議な尾根だ。

私が想像するに、その昔天上寺が隆盛を誇っていた時分に、メインストリートたる青谷道や上野道を堂々と通ることが出来ない、後ろめたい目的を持ったお寺の関係者が密かに行き来していた、裏道だったのではないだろうか。

登り始めはこんな感じ

11:21
尾根自体はスギ混じりの雑木の尾根で、急なところも多く木につかまり攀じ登らなければならない。見通しは悪く周囲の状況をつかみにくいが、高い方へと登っていくだけで特にルート取りに困難をきたすことはなかった。

でも鋭さのない尾根なので、下りにこの尾根を使いルートハンティングを誤ると西の老婆谷への急斜面へと誘い込まれるかも知れない。特に旧摩耶大杉近くは見通しが悪い急斜面で、この尾根にすんなりと乗れる自信は、一度登った私にもない。

この辺は明確な道跡が残っている

11:29
写真では爽やかそうな尾根に見えてしまうが、足元にはシロオニタケの老菌がすえた臭いを放ち、気分が悪くなってくる。顔にバリッ張り付く蜘蛛の巣はまだ少ないが、藪蚊がしつこく付きまとい、立ち止まると腕や首筋に吸い付いてくる。

下草はなく樹間も広い

11:35
ルート全般に渡り下草は全くなく、木々の間隔も広く、藪漕ぎする場面は生じない。でも、六甲の一般登山道しか歩いたことがないハイカーがこの尾根に入ったら、10歩も進まないうちに引き返すのがおちだろう。

登るのは簡単、下りは迷うだろうな

11:41
倒木に行く手を遮られる場面はなく、下の写真のは尾根方向に倒れていて手がかりになって登りやすいくらいだ。まだ夏の名残のセミが鳴いているが、鳴き声が聞こえなくなる頃には蜘蛛の巣の森に変わるに違いない。

うんざりするほどの急登が続く

11:54
もう大分登ってきたはずで、旧摩耶大杉が見えてもよさそうだ。見通しが悪いうえに、地形も樹相も変化は少なく、同じような風景の中をシロオニタケのすえた臭いの中を高みを目指して黙々と登るのみで、山歩きの楽しみというものが欠落している。

おまけに時々見つけてしまう緑ビニール紐のマーキングにより、ルートに乗っていることが安易に分かってしまう。道なき道を一人で歩く時の不安感・孤独感そして高揚感・期待感などのもろもろの感情がスポイルされてしまい、詰まらなさを倍増している。

この急さがこの尾根の唯一の楽しみか

12:06
ようやく枝葉越しに白っぽくみえる巨木が見えてきたが、大杉脇に神戸市が立てた警告看板は西側で、このままではまずい。左側に回りこむように最後の急斜面を笹を束にしてつかみながら攀じ登っていると、突然ジリリーンジリリーンと携帯が鳴り出した。

この両手が離せない、こんなときに限って妻その1からの安否確認の電話が入ってくる。それも、電波が入るとは思えない谷間やこんなところばかりなのが不思議だ。

12:14
まさにここに出ようと思っていた場所にドンピシャで到達。

これより先は危険につき、通行できません。  神戸市

この西向きの警告板から真っ直ぐに西へ下ると、直登尾根というよりは、もう一つ老婆谷よりの尾根に乗りそうな感じで、間違いなく迷ってしまうだろう。でもマーキングもなく踏み跡もなく面白い尾根かもしれない。

旧摩耶大杉に着いたぞ

12:16
青谷道の石段から旧摩耶大杉への道は「摩耶の森クラブ」が整備したもので、そのことは評価する。でも周囲の木々には、景観を害することが主目的のようにしか見えない樹名板が、そこかしこにくくられている。

「摩耶の森クラブ」の名前の方が目立つような、大き目の木板にマジック書きされたものが麻紐で固くくくられていて、樹木への思いやりの低さと自己顕示欲の高さがよく分かる

「とるのは写真だけ、残すのは思い出と足跡だけ」を野山歩きの第一原則と信じてやまない私から見たら、よく頂上に鈴なりになっている登頂記念プレートと同じに、この樹名板も汚らしいゴミにしか見えない。

人は千差万別で、私の見方・考え方は極端に偏っていることは自覚しているが、このゴミは早々に処分しないと摩耶の森クラブの歴史に汚点を残すことになる。

大きな旧摩耶大杉をあとにする

旧摩耶の大杉

市街地から眺めると摩耶山の中腹に一際目立つ大木があるのに気づきます。
旧摩耶山天上寺の塔頭のひとつであった蓮華院の西側に位置し、幹周り8mもある六甲山随一の大木であったと恩われます。
昭和44年に発刊された「神戸の名木(神戸市公園局緑化協会編 兵庫新聞社発行)」によると、約200年前に摩耶山一帯で起きた大水害で奇跡的に生き残ったため、その生命力に驚いた人々は、神霊が宿っているに違いないと「大杉大明神:としてあがめたと記載れています。また同書によると樹齢は千年とも記されており、その威風堂々とした姿に圧倒された様子が伺われます。
この「摩耶の大杉」は残念ながら、昭和51年の旧摩耶天上寺の大火災の後、火を被ったことが原因で、徐々に樹勢が衰えて枯死してしまいました。
幾星霜の時を行き続け、移り変わる歴史の変遷を見続けてきたこの大杉の姿は、枯死してもなおその存在感を人々に印象づけています。



下山は………

12:21
旧摩耶大杉から最後の石段を登ると、そこは摩耶史跡公園だった。賑やかな掬星台でよりも静かな落ち着けるここで昼食をとることにする。

12:55
30分で二人しか登ってこなかった静かな史跡公園から、ここまで声が聞こえてくる賑やかだろう掬星台へと移動を開始する。

なにもない摩耶史跡公園

13:04
掬星台へ、継続して手入れがなされているため何とか形を保っている石段を登っていく。ここを通るのはこれで何回目だろう。

掬星台へ登る石段の道

13:13
掬星台の賑わいの原因はリュックサックマートだった。3月から11月までの毎月第3土曜日に開催されているが、今日はどう見ても売り子の方が買い手よりも多そう。

リュックサックマートで賑わう掬星台

13:16
下山前に掬星台で恒例になっているシェーを執り行う。でも、あまりの人の多さにいつもの往復シェーの腕の動きが変。

掬星台でシェー

下山はいつものお気軽なロープウェイとケーブルカー。今日は臨時便が運航されて20分間隔の運行が10分間になっていた。



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