山行記録にもどるホームにもどる



広峰山塊縦走、白国から奥須加院へ



スポンサード リンク




平成24年3月20日(火)春分の日  メンバー 私だけ

白国〜下冬イチゴ谷〜近畿自然歩道〜広峰神社〜広峰道〜氷室山〜奥須加院の池〜仁豊野バス停


祝 播州野歩記 開設10周年

 播州野歩記を開設してから、早10年の歳月を経ようとしている。『石の上にも3年』、『桃栗3年柿8年』、『雨垂れ石を穿つ』と、何事も成し遂げるには長い年月を要するというが、10年を経て我が山登りスキルは少しは向上したのやら。

 10年もあれば、近所の山登りから始めて、県内のより高い山、そして北アルプスの槍ケ岳、穂高岳や日本百名山など国内の有名どころの山々を、それから七大陸最高峰のエベレスト、エルブルス山、マッキンリー、アコンカグア、キリマンジャロ、コジオスコ、ヴィンソン・マシフ、マッキンレーへと世界へと雄飛していく者もいるだろう。

 でも私は、近所の山登りから始めて10年、いまだに近所の山登りをし続けている。向上心が無いというか、『十年一日のごとく』今日も今日とて、姫路市街地の北を縁取る広峰山塊を歩いてきた。

山行概念図

 さすがに10年も歩いていると、広峰還暦登山隊(今は古希登山隊になっているんだろうな)が開拓した大方の広峰山のルートは歩いてしまった。しかし還暦を数年先に控えた私には、もう新たなルートを目指すモチベーションさえなく、10年来けなし続けてきた広峰還暦登山隊の方々の、その当時の元気さに舌を巻くばかりだ。

 今日の、南側の白国から北へ縦走し奥須加院の池へ抜けるルートも、何度か歩いたことがあり、けして初めて歩くルートではない。


妻その1に送ってもらって、冬イチゴ谷

9:05
 姫路駅北口から、広峰神社(いろいろな表記があるが『広峰』に統一しておく)へと登る舗装参道入口まで神姫バスの路線があり、公共交通機関でも行けるが、今日は暇そうにしている妻その1に送ってもらった。

 白国の奥で山陽自動車道を潜り抜け、広峰神社へと左にターンして登って行く参道と別れて直進すると、冬イチゴ谷入口が現れる。案内表示はまったく無いが「昭和44年度施行 治山事業 兵庫県 施工 姫路早駒組』と表示がある小ぶりな砂防設備の右岸側に、最近砂利が入れられた道が続いている。

冬イチゴ谷の入口

9:08
 流れを右手に見ながら、この先に何があるのだろうとワクワクしながら歩いたのはいつの日だっただろうか。石仏を彫ったらさらに凄みを増すだろう、正面が平らな大岩の下に、灯明箱が置かれている。

 「オッ、今日はロウソクが灯されていないな。今日は休みか。」などと、つぶやきながら、少し安心したのか足どりが軽くなる。

自然の岩なのか、誰かが建てたのか、冬イチゴ谷の門番みたいだな

9:13
 多くの石仏や石鳥居がある、滝行場の白姫明神だ。不動滝と名づけられた樋滝からは程よい水量の、打たれたら身が凍りそうな水が落ちている。

 修行中は至るところに灯明が灯され、炎が風に揺らぎ蝋の香が充満し、不可思議な雰囲気をかもし出すところだ。

白姫明神の滝行場の中を通り抜ける

 さらに冬イチゴ谷へと分け入るには、行場の中を通り抜けなければならない。石鳥居手前の階段を右に上り、小屋前を通り過ぎるだけなのだが、ここが冬イチゴ谷の核心部に違いない。

行場の中を通り過ぎ、上部に建つ小屋の前を通り抜ける

9:19
 行場を通り過ぎた先の冬イチゴ谷は、急な岩が露出した道に水が流れ、少々歩き難い。だが、それはわずかな区間だけだ。

始まりは水が流れる急な道

9:23
 増井広峰山塊を横断する近畿自然歩道と交差する迄の谷を『下冬イチゴ谷』、そこから上流部を『上冬イチゴ谷』と呼ぶようだ。明確な道形が残り、かつては薪炭林として人々が生活の場としていたこともあるに違いない。

下冬イチゴ谷は終始右岸側に残る道跡を登る

9:26
 何事も無く、淡々と冬イチゴ谷を登って行く。緩やかな、落ち葉に覆われてはいるが平坦な道は歩きやすく、快適な山歩きが楽しめる。

今日で3回目かな、冬イチゴ谷を歩くのは

9:33
 自然に倒れたのだろうか、倒木は下冬イチゴ谷ではここだけだった。

よっこいしょと倒木をまたぐ、倒木はこの1本だけだった

9:37
 前方に今日初めての道標が見えてきた。この先は左手(西)へ曲がり近畿自然歩道で広峰神社を目指す。まっすぐ進めば上冬イチゴ谷を登り弥高山(339.7m)へ、右手(東)へ行くと山中に姫路市内では最古とも言われる天台宗の寺院、増位山隋願寺がある。

 広峰増位山塊と夢前川をはさんで、西側にある書写山円教寺は同じく天台宗の寺院で、創建は隋願寺よりも新しいにもかかわらず、室町時代の大規模な建物群が現存し、西国三十三箇所の札所であり、トム・クルーズ主演のラストサムライのロケ地になったりとよく知られている。

 ひるがえって、隋願寺は安土桃山時代(天正元年1573年)に焼き討ちにあい全山焼失、現在の本堂(国指定重要文化財)は江戸時代のもので、訪れる人は少ない。私にしても、髄願寺を訪れた回数は円教寺の20分の1もない。

あの道標が立っているのは近畿自然歩道だ


近畿自然歩道で広峰神社へ

9:39
 近畿自然歩道と冬イチゴ谷の交差点に立つ道標は『←広峰神社0.4km 隋願寺1.5km』となっている。

東へ石段を登ると隋願寺、そのまま谷を進めば上冬イチゴ谷、
冬イチゴ谷を渡り西へ行くと広峰神社、私が出てきたのは下冬イチゴ谷

9:42
 さすが近畿自然歩道、目をつぶっても歩けそうな遊歩道のような道だ。落ち葉も無く、まるで誰かが毎日掃き清めているかのような。

 ディズニーランドもUSJも無く、娯楽といえば寺社・景勝地めぐりしかなかった時代に、隋願寺と広峰神社を行き交う信仰心厚き人々のために通され整備され、もしかすると増位広峰山塊を東西に貫く現在の山陽自動車道以上に重要な道だったのかもしれない。

近畿自然歩道を西へ広峰神社へ

9:48
 広峰神社から東へ冬イチゴ谷へ合流する谷沿いを登って行く。

もうすぐ広峰神社だ

9:51
 広峰神社に到着。

 かつて神社は、この広峰神社のように小高い山の上に建てられていた。なぜならば山の磐座(いわくら)に降り立つ神々を出迎え祀るためだった。が、次第に信仰対象が神様が常在するとされる神殿に移り、それならば参拝しやすいところに社を移してもよいではないかと、山の麓に神社が建つようになった。けれども、磐座から神社までの神様が通る道を神聖なものとして維持し続けたため、『登山口は神社の裏』という事が現在でも成り立っている。………のあるき私説です。

広峰神社拝殿

 今年の2月3日に行われた「護摩たき」の際に、火の粉により本殿の桧皮葺屋根で火災が発生したが、大事にならずにすんだという。見上げる屋根には本来の茶色の桧皮葺の間に黒々とこげ跡が見えていたが、内部はさらに焼けているのだろう。

火災の跡が残る桧皮葺の本殿屋根

 境内内の休憩所に立ち寄り自販機で暖かいコーヒーを求め、どこに行こうかと思い悩む。出発時の計画では、近畿自然歩道をさらに西へ進み、氷室池へ続く谷に降りて、南へ姫路独協大学へ下ろうかなと考えていたが、それでは昼前に下山してしまう。

 久しぶりの広峰山に登ったのだから、山塊中の最高峰氷室山371.8mまで行って、奥須加院へ抜けることに計画変更。

10:19
 広峰神社の裏手から、近畿自然歩道を西へ出発する。

広峰神社裏手から氷室山へ行くぞ


近畿自然歩道・広峰道で弥高山・氷室山へ

10:23
 道沿いの御師屋敷跡が、かつての広峰神社の隆盛の名残をとどめている。

近畿自然歩道沿いの御師屋敷跡

10:28
 山上が台地状になっている広峰山は、山道の両側に茂った樹木のせいもあり良好な展望を得ることは出来ない。ただ、立ち寄った広峰神社からは、南側の眺望が得られ姫路城や播磨灘を望むことができ、大気が極澄んだときには80kmほど離れた大鳴門橋まで見通すことができる。

歩くのが好きなら広峰山を楽しむことができるが
展望を望んできたらがっかりするだろう

10:31
 Y字路になった近畿自然歩道と広峰道の分岐点を右へ、弥高山・氷室山へと広峰道に入る。

 近畿自然歩道公設道標は『←氷室池2.3km 吉備神社・荒神社0.5km→ 広峰神社0.9km→』となっていて、私設のは『←氷室池から山富へ 空港予定地から奥須賀院へ↑』となっていている。

 公設道標は右側の道を完全に無視している。私設のは2002年5月に第8次空港整備計画期間内での整備を見合わせることになった播磨空港を、いまだにその早期実現を熱望しているともとられかねない表現をしているし、奥須《加》院を奥須《賀》院と間違えているし、どっちもどっちだな。

近畿自然歩道から別れ広峰道に入る

10:33
 分岐からすぐの地形図で322mの標高点がある位置に、かつて播磨空港建設のデータ取りのための気象観測塔が立っていた時がある。今は跡形も無く撤去され、ちょっとした空地が残っているだけだが、日当たりがよく、なにか咲いてないかなといってみると、咲いてました。紫色の可愛らしい花が。

 でも、帰宅後に調べてみるとヨーロッパが原産地のヒメツルニチニチソウと判明し、がっかり。気象観測塔撤去後の植栽復元にでも用いられたものかもしれないな。

気象観測塔跡地に咲く
ヨーロッパ原産のヒメツルニチニチソウ

10:37
 広峰道の特徴は歩きやすさに尽きる。平坦な地形の中にさらに登り下りのない様に通された道は、道の両側の雑木林が雰囲気を盛り上げ、歩いているだけで楽しくなってくる。

平坦な広峰道

10:38
 わずかの鞍部もあるが、そういうところは堰堤状に盛り土されている。交通量など極わずかだと思われるのに、なぜにここまで道の整備がなされているかというと、地形図にも記載されているが、山中に2箇所の墓地があり、お参りのためもあるが重要なのは墓石を運び易くするためだ………のあるき私説。

盛り土された広峰道

10:47
 途中に西側の氷室池へと下るかと思わせる、古びた案内板がチラホラするが、全て無視して進むと2箇所目の墓地が現れ、その先は想定どおりに道幅は狭くなり、見通しもも悪くなり、登り下りも現れる。

2番目の墓地までは極快適な道が続く

10:48
 そして2番目の墓地の先、右側に「火の用心」関西電力送電線巡視路標識の支柱に間借りするように黄色テープが巻かれ、「→弥高山→」の案内がある。

 プラ階段を登って行くと送電線鉄塔「溝口線18」が立ち、さらに進むと弥高山の頂上だ。

「火の用心」18横のプラ階段を登ると弥高山頂上は近い

10:58
 道端に三角点標石があり、その先が弥高山の頂上だ。周辺と比べてそれほども高くない頂上らしからぬピークで、ただ周辺の木々がなく眺めはまあまあだが、絶景とはいかない。

 この頂上一帯に、かつて山を山とも思わない、自然破壊愛好者団体が築いたカマド跡やその他もろもろの残渣が残り、見るに耐えないものがある。

カマド跡が残る弥高山頂上

 自然愛好者の仮面を被った、その実態は山を憎み自然を妬む性格破綻者たちの爪あとが弥高山の尊厳を損ねている。かつて彼らが活発に活動していたときに、彼らはゴミではないと言い張っていたが、今は誰が見てもゴミ以外のものには見えない。

弥高山に残されたゴミ・ゴミ・ゴミ
これに比べれば登頂記念プレートなど赤子のようなものだ

11:03
 懲りずに廃材やパイプ椅子が持ち込まれた弥高山に長居は無用と、広峰道に戻りさらに北を目指す。

広峰道をさらに北へ

11:06
 墓地までよりは幾分みすぼらしくなってきたが、関西電力送電線巡視路として整備が続けられ、普通の山道より格段に歩き易い道が続く。

こんな道も大好きだ

11:09
 送電線鉄塔「溝口線19」が道の右側に現れると、平坦だった広峰道も登り下りを繰り返す山道となる。

実は私は平らな道が大好物で
登り下りのある道は嫌いなのだ

11:14
 初めて私の播州野歩記を見る人で、一人で歩いているのに、なぜもこうも沢山の私自分の写真を撮れるのか不思議に思う人がいるだろう。

 まあ、そこがこの播州野歩記の売りの一つなのだが、撮るたびに三脚をセットしポーズをとり、赤外線リモコンを用いて自分撮りしているわけで、煩わしいことをおびただしい。でも自分撮りをせずに、風景写真だけにしてしまったら播州野歩記が成り立たないし、困ったものだ。

 おまけに、三脚を縮めるのがめんどくさく、常に伸ばしたままで杖代わりに突いているのは内緒だ。というわけで、自分撮り写真と実際の私の山行スタイルには隔たりがあること、そして頻繁なる自分撮りのため山行時間は延びがちで、普通に歩けば私よりも遅く歩くのは難しいことを伝えておく。

天気が良い日の山歩きはどこを歩いても楽しいな

11:20
 この写真は見下ろしている感じがするので、下り坂かな。道から外れて三脚をセットするのは谷側は無理として、山側も急斜面を三脚を据えるのに1回、回収するのに1回、都合2回登り下りする価値があるかといえば木々に視界を遮られまともな写真が撮れない。結局前後からしか撮ることができず、アップダウンの感じを伝えるのが難しい。

緩やかな下りだろうか
撮影意図をその度に記録すればよいのだろうが
何のために撮った写真なのだろうか

11:31
 表情からも伺えるように、ここは明らかな急な登りだ。実は私は登り坂が大嫌いだ。全てが平坦か下りだけで登られる山があったら教えてほしい。もう一つ、実は下りの方が登りの倍嫌いだ。エスカレータかエレベータで頂上まで登れる山があったら教えてほしい。

ひーひーひー 登りは辛い

11:36
 と言っているまに、広峰道と分かれて氷室山へ向かう尾根への分岐点までたどり着いた。

 右手は「須加院別れ」と呼ばれる鞍部に下る砂の浮いた滑り易そうだが明確な道。氷室山への尾根正面の立ち木に「姫路市東辻井に店を構える某アウトドアスポーツ店の店名2文字+ケ岳」と鉈目が入っている。なぜ店の名前に泥を塗るようなことができるのか、私には理解できない。

広峰道から別れ氷室山へ

11:39
 いきなりのトラロープが張られた劇急下りだ。写真に写っているピークが氷室山ならよいのだが、いつの世も思い通りにはならないもので、地形図を見ると氷室山は四つ先のピークだ。つまり、下って登って、下って登って、下って登って、下って登るとようやく氷室山に至る。

見えているピークは単なる通過点にしか過ぎない

11:45
 下り立った最初の鞍部から、西側の氷室池方向にマーキングが付けられている。昔々ここから下ったような、登り着いたような記憶があるが定かではない。でも間違いなく氷室池に下りることができそうだ。

この鞍部から氷室池に下りられそうだな

11:49
 人通りの少なさそうなルートではあるが、尾根には明確な切り開きがあり、藪漕ぎ状態には陥らない。そして、迷うようなところはないように感じたが、この辺は尾根でも携帯電話が圏外になるときがあり、谷に迷い込んで怪我をして動けなくなったら、そして単独だったらそこがあなたの終焉の地になってしまう。

 事実、広峰山で遭難し行方不明や死亡遭難事故が発生している。

分かり易いルートだが安心は禁物だ

11:53
 二つ目のピークが見えてきた。当然ながら氷室山の頂上ではない。

次のピークも氷室山頂上ではない

11:58
 三つ目のピークが見えてきた。繰り返すが当然ながら氷室山の頂上ではない。

次のピークも氷室山の頂上ではない
実は南側からだと氷室山頂上をピークとして認識できないのだ

12:07
 こんなところにも人の手が入っていて、切り開きのために露出した地面が崩れないように所々に石積みが設けられている。

山道を補強する石積みが足元に

12:12
 最後のピークになる氷室山頂上は近づくと見えなくなってしまう。三つ目のピークまでワクワクさせておきながら、最後はちょと残念だ。

もう氷室山頂上は目前だ

12:19
 そして最後はあっけなく氷室山頂上に到着。三角点標石が埋められた頂上は直径3mほどの丸い空地となっていて、それなりに眺めはよく、北には雪を頂いた氷ノ山や三室山が見える。

 ここで播州野歩記の名物「シェー!!」を執り行う。何をしているかとバカバカしいと思われる方が100%だろうが、これも捨てたものではない。何事も「継続は力なり」で「シェー!!」を6年間続けHP上で公開してきたのをきっかけに、NHKBSプレミアムの熱中スタジアムという番組に出演し、渋谷のNHK放送センターのスタジオで「シェー!!」を執り行ったことさえあるのだ。まあ馬鹿らしいといえば馬鹿らしい出来事ではあったが、それなりに面白い経験ではあった。

 ちなみにNHK公式HPの中の熱中スタジアム 集え!「赤塚不二夫」ファン 第2夜素晴らしき赤塚キャラたちに私も紹介されているのだ。

氷室山頂上でシェー!!

 「シェー!!」もやったし、お昼ごはんにしよう。途中で計画変更し、氷室山到着を12時丁度と想定していたが20分も遅れてしまった。おなかがペコペコだ。

 メニューは妻その1に送ってもらう途中のコンビニで買い込んだものだが、朝の入荷前だったのか品揃えが悪く、本来なら大好きな山登りの定番「おにぎりセット」と「カレーパン」が欲しかったのだが、「3色おぼろ弁当」と「たまごマヨ2個入」に変わってしまった。

 まあどちらも美味しく、これからはこの組み合わせもよいかなと思う。でも、できれば妻その1の手作り弁当が食べたいが、そんな大それた望みは叶うことがないだろう。

お昼ごはんはコンビニで買った
3色おぼろ弁当とたまごマヨ2個入


奥須加院の池へ下山

12:57
 お昼ごはんも食べたし、そろそろ出発しようかとしていると男性ハイカーがやってきて、入れ替わるように下山を開始。

丸い頂上空地の北東側にマーキングが付けられていて、そこから急斜面を見下すと道らしきものが見えるといえば見える。

 そこから下ると北の暮坂峠へと下る尾根に乗ることができるし、途中の尾根の方向が変わる手前の鞍部を東に下れば奥須加院の池へと下れる。

奥須加院の池を目指し氷室山を後にする

13:03
 目指す「奥須加院の池」は、名前がないと呼びにくいので、私が便宜上適当に付けただけで、地元で呼ばれている名前ではない。

 氷室山頂上直下はあまりにも急で自分撮りもできなかった。

 
後ろは日室山頂上

13:07
 私としてはこういうのははっきり言って大嫌いだが、ハイカーのためを思い本人は完璧な善意からトラロープを張ったのだろう。だけどこういうのも山に持ち込まれたゴミだ。「とっていいのは写真だけ、残していいのは思い出だけ」教の中で「足跡も残してはいけない」派に属し、このトラロープを張る行為は自然破壊としか言いようがない。ロープを巻きつけられた木々の悲鳴が聞こえないのだろうか。

 とか言いながら、ロープが張ってあればあったで利用してしまう私もどんなものかと、困ったものだ。

トラロープが張られた難所もあるぞ

13:12
 東側の眺めがいいな。あの川は市川かな。

私が邪魔で景色が見えないというあなた
自分の足で登ってください

13:17
 緩やかな下りになり、先は緩やかな登り、この辺が奥須加院の池への下り口かなと周囲を観察していると、「←池 ←須加院」と立ち木に巻かれた赤テープに書き込まれている。

 こんなのも好きじゃないな。ルートハンティングという山歩きの醍醐味を奪い去る、私にとっては悪行非道な行いそのものだ。ルートハンティングをより楽しむためにGPSを導入することを頑なに拒み続けているのに、なにこのマーキング。

 確かにマーキングから東側を見下ろしても、道も踏み跡もそれらしきものもなにも確認できない状態で、ここから下りていいのかと疑心暗鬼の不安な気持ちで下っていくのに比べたら、精神的には楽だろうが、詰まらない。奥須加院の池から登ってきたこともあるし、ここをそのまま暮坂峠へ抜けたこともある私にとっては、迷うような分岐点ではないが、それでも詰まらない。

 でも、親切心あふれるマーキングを外すことにより、播州野歩記にそそのかされやってきたハイカーが迷って遭難することがあれば困るし、私はいかに嫌いなマーキングだろうとそのまま放置することにしている。

このマーキングの付けられた鞍部から奥須加院の池に下りる

13:19
 一度だけ奥須加院の池からここへ登ってきたことがあるが、こんな風だったかな。道らしきものも、切り開きも、落ち葉が積もっているためかふみ跡さえもない。マーキングが点点点点………と途切れることなく続いているので間違いないとは思うが。

地形的には下るのは何も問題がないが
本当にここを下ってよいのだろうかという程の、何もなさ

13:22
 でも、なにやら道形に見えないこともない地形が現れてきた。それに谷を遡ると二股に出会い、右俣にしようか左俣にしようか、はたまた真ん中の尾根を登ろうかと迷ってしまう。だが、谷を下る分には、たとえ他の谷が合流してこようが進むべき方向は目の前の谷だけ。単純明快だ。

道形があるようなないような

13:26
 揺るやかな穏やかな谷の左岸に、明らかに人の手が加わった道があった。相変わらず点点点点……と赤テープのマーキングが、うんざりするほどの短い間隔で連なり、ルートハンティングの醍醐味を完璧に奪われてしまう。

 完璧なる親切心からのものだろうが、お節介にもほどがある。山に残すものはどんなものでもゴミだ。山にゴミを捨てるな。

マーキング過多なルートは詰まらない

13:43
 最初は左岸、そして右岸、左岸、右岸と3回ほど細い流れを渡るが、特に問題はない。右岸左岸は川上から川下を見て、右俣左俣は川下から川上を見て、北風は南に向かって吹く風、西風は東に向かって吹く風、風が吹くと桶屋が儲かる、もうなんだかわけワカメ。

今は右岸側を下っている。

13:46
 奥須加院の池が見えてきた。湖面はエメラルドグリーンと言うかエメラルドブルー、いやバスクリンを入れすぎたと言うか、きれいな色だ。

奥須加院の池が見えてきた

13:48
 私が下ってきた谷からの水は池には入らずに、私が歩いている左側の溝を流れるようになっているようだが、どこかに池に引き込む仕掛けがあるのかもしれない。

奥須加院の池に到着

13:55
 この堰堤を横切ると、広峰道につながり「須加院別れ」から広峰神社へと戻ることも、須加院別れから木馬道を下ると「そうめん滝キャンプ場」へと行くことができるが、今日はこのまま奥須加院に出て車道歩きにする。

本日の山行の平安な終了を喜び
バンザーイ!! バンザーイ!!

13:55
 日当たりのよいところで咲いていたのは「オオイヌノフグリ」。残念ながらこれもヨーロッパ原産の帰化植物だ。

どこにでも咲いている、珍しくもなんともないオオイヌノフグリ
これも帰化植物だ

13:57
 少し高い位置にある古い奥須加院の池の堰堤が決壊するのを恐れているのだろうか、直下に大きな砂防ダムが設けられている。

奥須加院の池の直下にある砂防ダム

 この後は国道312号線へと須加院川沿いの道を東へ行き、市川沿いの小公園脇の「須加院口」バス停に着くと、バスの運行本数は少なく、次は16時ちょうどの姫路駅行きの最終バスしかない。だが、もう一つ南の「仁豊野」バス停ならもっと多いはずだ。

14:46
 仁豊野バス停に着いたが、運の悪いことに、なんと4分前に姫路駅行きのバスが走り去った後だった。でも大丈夫。15:12 に次のバスがきて、姫路駅までなら29分390円だ。

 電車が好きなら、すぐ近くに播但線仁豊野駅があり、15:01の電車で15分200円で姫路駅までいける。なんかバスの負けのようだが、神姫バスのエコ定期制度で私は姫路駅まで100円で行けるのでよいのだ。



スポンサード リンク



山行記録にもどるホームにもどる本ページのトップ